No.30(貴族社会の形成)  : 

「『公地公民』へのH(ホップ)→S(ステップ)→J(ジャンプ) とは何か?」

まず魏の曹操が、政府が耕作者の集団に辺境防備とともに官有地を耕作させる屯
田制を実施した。その後司馬炎(武帝)が建てた晋(西晋)で、農民に官田を割り当
て耕作させる課田法(大都地所有を制限する占田法とセット)が行われ、北魏の孝
文帝が政府の土地の授受と回収を行う均田制を開始し、それはやがて隋・唐、そし
て日本(班田収授法)にも受け継がれていった。

<評価の観点>
関心・意欲・態度:
遣隋使や遣唐使を通して我が国に輸入される均田制のルーツについて、高い関心
を持って学ぼうとしている。
思考・判断:
魏晋南北朝時代に成立した土地制度の段階的発展について、それぞれの限界に
も注意を払いつつ、的確に判断している。
資料活用の技能・表現:
隋・唐に比べて北魏の均田制が豪族に有利なものであったことを、三者を比較しつ
つ北魏のものが奴婢や耕牛にも給田されていたことを示す資料を用いて明確にし
ている。
知識・理解:
戦乱の中で放置しておけば、豪族や貴族の私地私民となってしまう土地や民衆を、
彼らとの協力関係を維持しつつも、公地公民を実現しようとした為政者の工夫につ
いて理解を深めている。